人生とはその人の考えたとおりのものである。自分がこうなりたいと思う姿を思い描いている人は、その望みが心底真実であれば、そのような人生を手に入れることができるのだ。こういうと、たいていの人は首を横に振る。思ったとおりになんかなっていないというのである。しかし本当にそうだろうか。 「そうさ、自分は音楽家になりたかった。だがご覧のとおりのしがないサラリーマンだ」 「じゃあ聞くが、君は今もずっと音楽家志望なのか」 「まさか。もうこの歳でなれるわけが無い」 「いつ断念したのだ」 「高校受験で音楽学校を受けて落っこちたときだ」 「だったら君がそう思ったのは、はるか昔の一時期だけじゃないか」 「そうだけど思ったとおりにはなってないじゃないか」 「違うね。僕が言うのはそういうことじゃないんだ。君は人生を思い通りにならないと思ってる」 「そうさ」 「だから、思ったとおりの人生を手に入れている。思い通りにならないという人生観ぴったりの人生をさ」 …(中略)… 自分の願望を思い続けることはそう簡単ではない。ほとんどの人は続かない。だから実現しないのだ。思い続けない人が「思い続けてもダメだ」とどうして言えるのか。世の中には思い続けて望みを実現した人もたくさんいるのだ。いかなる人生もその人の考えた所産なのである。 γγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγγ この話には勇気とやる気を与えられる。諦めないかぎり、少なくとも希望をもって何かに取り組むことができる。諦めたらもうそれは「無い」んだ。 だれか、昔の人で、おまえはキリスト教を信じるか、という質問に対して、 「もしキリスト教を信じなくて神様が実在した場合よりも、キリスト教を信じて神様が実在しなかったときのほうがいくらか良い」 って言ってキリスト教徒になった人がいた気がするが、 あ…? 関係ないか。 じゃあ、冒頭の話と関係するようなことを、19世紀のアメリカの心理学者(哲学者でもある)が言っているので紹介しようと思う。 “われわれのもつ可能性に比べると、現実の我々はまだその半分の完成度にも達していない。われわれは、肉体的・精神的資質のごく一部分しか活用していないのだ。概して言えば、人間は、自分の限界よりも、ずっと狭い範囲内で生きているに過ぎず、いろいろな能力を使いこなせないままに放置しているのである。”ウィリアム・ジェームズ 20世紀の老人学者も面白いことを言っていると思う。 “老化の75%は自己願望の現れである”アレックス・カムフォート 実は、リンカーンも肯定的に次のようなことを言っている。 “およそ人は、幸福になろうとする決心の強さに応じて幸福になれるものだ” シューマンは、『音楽の座右名』の中で、“山の向こうにも人はいる…”と言ったが、まったくそのとおりだと思う。地理的にだけでなく、時間的にも人は地球上のいたるところに住んで、いろんなことを考えている。人類が10万年の昔からいままで考えてきたことと、人一人をつくっている原子の数と、どちらが多いのだろう。 僕が思ったのは、自分が今悩んでいることなんて、人類の歴史を振り返ると、何千何万人という人が同じようなことを悩んで、何万何億人という人が、それよりももっと深刻な悩みをもっていたんだろうということ。それを今になってまた悩むのもいいけど、悩んでいる暇は意外と無いな、という、気がする。探せば情報はいくらでもある時代。土台は出来上がっている。どう生きるかは僕次第だ。 |
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