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2025/04/30 08:53 |
ep.05  トニーノ・カポーネ

さて、春休みに向けて濃厚大の学生は「試験」という伝統に追われている。

いつもであればガラガラの図書館も、この時期になると席がなくなるくらいの混みようである。

構内のいたるところで、自分のやるべきレポートや試験があとどれくらい残っているのか、ということを学生が報告しあっている。みんなそれなりに「試験」を楽しんでいそうだった。

当然ユウスケも例外ではなく、「試験」を受けなければならないのだが、彼は古代ギリシャの哲学について調べることに楽しみを見出してしまった。よりによってこんな時期に…。

ユウスケが見つけた本の中に『ギリシャ哲学史』(ルチャーノ・デ・クレシェンツォ)があった。筆者が読者に講義するような形式で書かれているこの本には、ソクラテスよりも時代の古いギリシャ圏の哲学者の話が載っており、2000年も昔に生きていた人間がどのようなことを考えていたのかということに思いを馳せることができた。

メインはそれら古の哲学者たちの逸話が筆者の解釈を通して書かれているわけだが、章と章の間には、ごく最近の哲学者?の話が番外編のように載せてある。どれも面白い話だが、その中のある一つの話を読んだとき、ユウスケはまるでその哲学者を見方につけたかのような喜びを感じた。その哲学者は、トニーノ・カポーネというそうだ。その本の中で、彼は「豊かさ」についてこう考えていた。

「私はね、豊かさとは、精神状態に過ぎんと思うよ。人は金がそんなになくても金持ちの気分になれるものなんだ。肝心なのは、稼ぎより少ししか支出しないこと、欲求をあれこれもたぬことさ」 

哲学者?の使う言葉は(正確に言うと、哲学者だけに限らず本人以外の人の話す全ての言葉は)、僕らが普段なにげなく使っている言葉とは意味が違う場合が少なからずあるとユウスケは感じていた。だから、このカポーネの言葉を解読するときにも、気をつけて意味を理解しようと努めた。だが、この場合は素直に受け止めてよさそうだ。

そのまま読み進めていくと、このカポーネの説明のためにさいてある最後のページが彼の次の一言で締めくくられていた。

「多くの人々は何とかして生命を延ばそうと腐心する。ほんとうは生活を深める必要があるのに!」

なんということはない、あぁ…そう、と思った人もいるかと思う。わざわざ斜線にする重要性があるのか、と。でも、ユウスケにとってこの言葉は額に入れて飾っておきたいくらいだった。それは、ユウスケもこのカポーネと「おなじようなこと」を感じていたからだ。どういうことか、ぜひお話させていただきたい!

日本人の死亡原因は、悪性新生物つまり癌が圧倒的に多い。高齢化社会になってきているのもあるせいかもしれないが、高齢になると癌での死亡率が増す傾向がある。逆に若い層での死亡は事故や自殺が多いのだ。20代の死亡原因の約30%が自殺だという衝撃の事実はまたここに書くべき考えが浮かんだら言及することにして、今言いたいことは、人は寿命を生きると癌で死ぬようにプログラムされているのではないかということ。少なくとも癌が治療されるようになれば、人はなかなか死ねなくなりそうである。

もしも、癌を治療することが高確率で可能になれば、日本人の寿命をもっと延ばすことができる!多くの癌研究に携わる人はそれが人の幸せにとって欠かせないことだと信じているかもしれない。たしかに、若いうちの癌は、不慮の事故のようなもので、成長期に有る体細胞はさかんに分裂したがっているからその勢いが癌細胞を後押ししてしまい、結果短期間で癌細胞が増殖し人間本体を死に至らしめることになってしまう。これは治療できるのならしてあげたいと願う。そういう意味で癌治療研究を否定するつもりは全く無い。

だが、人間(か、あるいは自然界)にプログラムされているとするなら、その癌が、その役割を果たすために”正常に”動き出すのだとしたら、それは自然の摂理であり、本来避けなくても良いことなのかもしれない。もし研究がうまくいき、癌が治療され、人間がその恐怖から永遠に別れを告げることに成功したのなら、あと10年は寿命が延びるかもしれない。…でも不死ではないのだ!結局、死というものは必ず来る。癌を克服した人間は、与えられたその10年でなにができるのか?家族との思い出を作る?仕事にかける時間を増やす?趣味に没頭する?

いや、その10年をどのように過ごすことができるかということを言いたいのではない。日本人は、とにかく健康に気を使い、長生きしようとはするけども、どう生きるかということについて考えたことがあるだろうか。

「豊かさ」ということについてカポーネが言っている。収入の絶対値を増加させることがすなわち「豊かさ」なのでは無いのだと。収入と支出の相対的な関係が「豊かさ」なのだと。

「生きる」ということについて、カポーネの言葉を借りて言ってみよう。生存している時間の絶対値が増加することがすなわち「生きる」ことなのか。。

ユウスケは考えることを楽しんでいるようだった。来週は「試験」の山場だというのに…。考えることは人間にとって必要なことだろうが、ある有名な哲学者は実際の現実に起きていることにあまりに無関心だったがために、ただの兵士に街中であっさり殺されてしまった。

そういえば、アリストテレスはこんなことを言っていた。「中庸」が良いと(笑)

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2007/02/03 06:45 | Comments(1) | TrackBack() | the first act

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コメント

おまえは家族が癌に冒されても「自然の摂理」で片付けられるのか?
posted by おぐat 2007/02/03 21:32 [ コメントを修正する ]
>おぐ
コメントありがとう!こういう討論をしたいよね!

僕の答えは、
もし家族が癌になったら治してあげたいと思うし、僕自身ももし癌になったら治したいと思うでしょう。
僕が言いたいことは、癌は治療されるべきか否かということではありません。ただ長生きすれば良いのか、ということを言っているんです。
2007/02/04 01:18

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