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2025/04/30 07:04 |
ネアンデルタール人はテレパシーを使えたか
ネアンデルタール人といえば、2万数千年前に絶滅したヒト属として知られていますが、正式名称はホモ・ネアンデルターレンシス。ホモ・サピエンスとは別の種であることがわかっているようです。

古いヒトだからといって馬鹿にはできません。脳容量はホモ・サピエンスよりも大きかったということです。なのになぜネアンデルタール人のほうが絶滅してしまったのか。面白いですね。

まだネアンデルタール人が生きていたころ、ホモ・サピエンスのある一族は彼らのある一族と交流する機会がありました。当時、そのホモ・サピエンスの一族はことばを使っており、着衣もしていました。そのホモ・サピエンスの一族は故郷の森をおわれ、しばらく長い間海辺で暮らしていましたが、事情があって東への長い旅をしていました。

そして、ある海辺でネアンデルタール人たちの集落を見つけました。ホモ・サピエンスの一族は、ネアンデルタール人たちと交流することを試みましたが、ネアンデルタール人たちは、ホモ・サピエンスの一族を恐れました。いままでも、ホモ・サピエンスの一族は、自分たちとは違う(種が同じかどうかは定かではない)一族にしばしば出会ってきましたが、そういうときはもちろん言葉は通じません。彼らは別の方法を用いました。たとえば、自分たちが作った道具を並べて見せてあげる。こういう行為は割りと功を奏したようです。しかし今回のネアンデルタール人にはうまくいきませんでした。

ホモ・サピエンスの一族は、ネアンデルタール人たちの姿や行動などを細かく観察しました。そしてどうやら、彼らは女、子供をまとめておきたがっていることに気づきました。さらに、何か一族の中で意思を伝えたいときは、言葉らしきものを用いるのではなく、身振り手振りを使って伝えるのですが、それにしてはたくさんのことを伝えることができているということに気がつきました。

ホモ・サピエンスの一族が、今の我々とほとんど変わりない精神生活を営んでいることにまず驚くのですが、たとえ言葉が通じなくとも、他の民族と交流を図ろうとしていることが、なんというか、今の世の中では考えられないですね。現在ではホモ・サピエンス以外の種は絶滅しているから1種しかヒトはいないのに、言葉の壁で、文化の壁で、お互いに偏見の名の下に理解しあう努力をおしみ、争ってますね・・・。日本という孤島にすむわれわれの考えがいかに虚しいか、そう悟らざるを得ません。言葉はたいした壁じゃない。言葉をもっているかどうかも。それどころか、種が異なっていてもコミュニケーションは取れるんです!人間中心の世界である、そう考えることは理にかなっていると、僕も信じていましたが、それは別の可能性をまったく捨ててしまっているんですね。

そう、たとえば、ネアンデルタール人はテレパシーに似た方法を使っていたのかもしれない。言葉でなくて、ボディランゲージでもないコミュニケーション能力。われわれは言葉を重く感じすぎています。しかしそれはそういう文化を何千年もはぐくんできたんだから当然です。でも、そのために失ってきたものもあるでしょう。 


言葉がないということは、もはや我々にとっては、コミュニケーションすることができません。ペットは、どんなに愛していたとしても、パターン化によって飼いならしているに過ぎません。言葉があるということは、コミュニケーションできる可能性をみせます。たとえば、あなたの目の前に咲くたんぽぽがもし言葉を発したとしたら、あなたはその意思を無視して踏みつけることはできないでしょう。

だけれども、花はしゃべりません。それは我々にとっては幸運なことかもしれません。しかし、言葉ではないコミュニケーションがもし存在するとしたら。我々がそれを知らない、あるいは忘れているだけなのだとしたら。ヒトの君臨する世界という妄想はもろくも崩れ去るでしょう。そして、我が物顔で森林を伐採したり、娯楽で生き物を殺したり、海洋にゴミを投棄したり、ということはしなくなるでしょうね。しかし僕には、それがありそうな話であるような気がしてなりません。我々は世界でただ1種だけ、何も知らないのです。
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2007/05/09 01:39 | Comments(0) | TrackBack() | the second act

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