18:55。
ユウスケは月、水、土の週に3日はこの時間に居酒屋にバイトに出ている。かれこれ2年以上やっているので、店の人からは頼りにされている…と本人は思っている。
店では日本酒、焼酎、梅酒、果実酒、サワー類、ブランデー、ウイスキー、ワイン、マッコリなどを提供しているが、店の人のノリしだいでいつのまにかメニューが増えていたりする。最近はぶどうサワーの上に生ビールの泡をのせた、「スノーグレープ」なるものを追加したみたいだが、まだ客席に運ばれているのを見たことは無い。
新しく追加されたメニューの中に、「梅酒(芋焼酎)」というものがあった。
「芋焼酎?」
ユウスケはふと疑問に思った。じゃあ、ふつうの梅酒はどんな種類の焼酎でつくられているのだろう。
その日のバイト中、ユウスケはそのことが気がかりでしかたなかった。あまりに気になりすぎて、ジョッキいっぱいになっても生ビールをつぎ続けたため、ビールがジョッキからあふれ出して、どばー。それを見られて店の人に笑われてしまった。まぁ、よくあるよくある。バイトが終わって家に帰ると早速調べてみることにした。
「梅酒」
梅酒(うめしゅ)とは、一般的に6月頃に収穫される青梅を35~40度程度のアルコール(ホワイトリカー、焼酎が一般的)で漬け込んだ酒で、日本を代表するリキュールである。 「うめざけ」「ばいしゅ」「うめじょうちゅう」とも言われる。梅1kgに対して砂糖0.4~1kg、酒1.8リットルが一般的な割合である。アルコールはホワイトリカー(甲類焼酎)、ブランデーが無難であるが、ジン、ウォッカ、ラム酒などのスピリッツや、日本酒、みりん、ワインなどの低アルコール度の酒でも漬け込むことができる。
「ってことは、焼酎なら甲類をつかうってことかな。ブランデーもよく使うのかな。あ。でも江戸時代にはすでに家庭で梅酒がつけられてたらしいから、伝統的な梅酒は焼酎を使うんだろうな。」
ユウスケは梅酒で有名なCHOYAでは梅酒をつけるのにどんな酒をつかっているのか調べてみた。以下、CHOYAのサイトから抜粋。
★チョーヤ梅酒 紀州
ホワイトリカーベースのスタンダード梅酒。梅そのものの風味が楽しめる昔ながらの味わい。
中に入っている梅の実はデコレーションにも最適。(梅の実はそのままでおいしく召し上がれます。)
★チョーヤ梅酒 ブラック
ブランデーを使用したまろやかでコクのある味わいはソーダ割りなどカクテルベースにぴったり。720mlビン、1.8Lビン・ペットボトルと容器のバリエーションも豊富。
★チョーヤ梅酒 エクセレント
紀州産の特選梅とブランデーで造り上げた高級梅酒。
よりまろやかでコクのある味わいはシンプルなオンザロックからさまざまなカクテルベースまでワンランク上の梅酒が楽しめる。
「さらりとした梅酒は…のってないなー。原材料は調べればあるかな…。あった!原材料名は、梅、砂糖、醸造用アルコール、ブランデー、か。醸造用アルコールは甲類ってことでしょ?原材料名の書き方はJAS法で、『食品添加物以外の原材料は、原材料に占める重量の割合の多いものから順に、その最も一般的な名称をもって記載すること。』っていうふうに決められてるから、ブランデーよりも甲類焼酎のほうが多く使われてるってことか。でも、それよりも砂糖の方が多いんだね。。なるほどね~。まぁ、つまりバイト先にあった芋焼酎の梅酒は珍しい造り方をしてるんだきっと。甲類は個性がすくない感じがするから梅のお酒を造るときに梅とぶつかりあわないんだろうな。芋だと癖があるっていうけど、それで梅酒をつくるとどうなるんだろう…。今度行ったらちょっと飲ませてもらおうかな。」
今の時代、調べれば大抵の疑問は解けちゃうんだな~。とは思いつつも芋焼酎について調べるのはまた今度にして、図書館から借りパクしているファインマン物理学を机の上に開いた。
ユウスケはこの手の物理学の本を読むのが苦手だった。ファインマンはまだ数式が少ないからとりくみやすいかと思ったが、なぜだろう、嫌いではないのになかなか進まないのだ。図書館に返さなければならない日付はとっくに過ぎているのに、10分の1も読めていなかった。いま開いているページでは、ファインマンが素粒子と呼ばれる「点」について、表を用いて丁寧に説明してくれていた。原子は原子核と電子からなり、原子核は陽子と中性子からなり、陽子と中性子はクォークからなっていて、電子はレプトンである、と。(*本当はそんな言い方はしていなかったと思います)
「陽子とか中性子を作っている粒子なんていうのがあったんだ!!いくらでも細かくできそうだな(笑)」
とユウスケは思った。ユウスケにこの分野の専門的な知識はほとんど無い。けれど、ひとつ思うことがあった。
「『答え』ってあるのかな」
という疑問だった。
ユウスケは陽子より小さな粒子は電子しかしらなかった。しかし、クォークとレプトンと呼ばれる素粒子が存在していた。しかもそれらにたいしてハンリュウシというものが存在しているらしく、もう意味がわからない。でも、今まで当たり前だった、素粒子は陽子と中性子と電子だという世界がユウスケの中で崩れたということは確かだった。人類も同じ経験をしてきたことになる。どこかで世の中の『答え』が変わったのだ。
光が粒子だった時期もあれば波だった時期もあり、地球が太陽の周りをまわっていた時期もあれば太陽が地球の周りを回っていた時期もあり、天皇が神だった時期もあれば天皇が人だった時期もあり、チェロを弾くときに脇に本をはさんでいた時期もあれば脱力していた時期もあり、素粒子が3つしかない時期もあれば素粒子がわんさかでてくる時期もあるのである。
たしかに、帰納法的ではあるかもしれないが、可能性があるということである。そんなもんでしょう。
単純に一般化することには問題があるのかもしれないが、ユウスケには良くわからない。
ただ、一般化して考えることで、考えることの幅が広がる。
そう、今ユウスケは考えることを楽しんではいるけど、これも同じで、考えることが永遠の「答え」なのかどうかはわからない。ただ、可能性がそこにあると思うから、ユウスケは考えることを楽しんでいる。
常に流動的、常に不確実的。
それでいいんじゃないか。
ユウスケは自分の中に一つ結論をだした。これも流動的なのだろうけども。
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コメント
現在最もはっきりと認められている量子力学でも「すべての物体は常に確率波として広がっていて、全ての空間に全てのものが同時に(微少な確率ではあるが)存在している」という理論がほぼ確実のものとなっています。私たち自身が雲のように少しずつ全空間に「存在確率」を秘めているのです。遠くにいるように見える人々も、実は全て宇宙とともの全空間にその存在は広がっているんです。おれは、少しかっこつけてこのことを解釈するなら、「私たち生命は宇宙を抱きしめ、それを包み込むことができる」ということの一端を示しているのではないかと思います。まだまだ面白いお話はたくさんありますが、今日はこの辺で失礼します。
最後に、有名な宗教改革者ルターさんのお言葉を贈ります。
解釈権は個人にある
全ての人が今を幸せな境涯だと解釈できる日が来ると良いなぁと思っているMOSでした。
ボクもよくわからんので調べてみました。
ようするに、もともと超弦理論は、素粒子を2種類の弦の振動で現そうとする理論だったようです。2種類の弦とは、輪ゴムのようにわっかになっているものと、紐のようになっているものです。これらとその振動のしかたを組み合わせてやることで、さまざまな素粒子を記述することができた、らしいです。よくわからんが、この理論を用いると、重力の量子力学?として述べられるところがすごいらしいです。
しかしながら、この理論は11次元や26次元という、人間には感知できない次元にまで話が及んでいるので(数学的にはありうる)、従来の物理実験では証拠を得ることが不可能、というのが問題点でも有ります。
ボクの軽い頭をつかって考えると、上のようになります。人間の感覚から物理学が離れていってしまっているように感じます。これを物理学とは呼びたくないという気持ちもあるけど。きっと、超弦理論を唱える人たちにとっても、その問題となっている「ひも」が実際なんのか、わかってないんじゃないかな。でも、そういう考え方を使うと、説明できることがある。っていうことなんでしょうね。
まぁ、そういうことなんでしょう。
あと、量子力学で論じるべき範囲と、そうでない範囲があるような気がするんですね、僕は。たとえば熱力学と量子力学は違うじゃないですか。でもどちらもちゃんと理論としてつかえるでしょ?ちゃんと勉強していないからうっすらとしたイメージしかないけど。。
ということで、理学部物理学科うっちー、なんか知ってたら教えて。
「解釈権は個人にある」
なにかいろいろ含んでいるよね。歴史に残る一言は、その文字数よりも、重いね。
「答え」はあるのだろうけど、他人が決める絶対的なものじゃないんだろうと思います。
それを”わかって”利用することが大切なのかもしれない。
実はおれも大統一論みたいなモノはできなくてもいいと思ってます。それぞれが考えるところに価値があって、その考える人のもつ「こだわり」が、すごく尊いものなんだと思います。ただ、いろんな人の意見をうまく取り入れていける人は本当に賢いなぁと思います。
マキさんの意見にはおれも同感です。「答え」は他人が決める絶対的なものじゃないと思います。
久しぶりにすごくうれしかったです。ありがとうございます!
そういうことも話せるっていうことなのかもしれないけど、”平等”な人間関係っていうのに最近興味をもってます。
良い意味でMOSも遠慮せず、僕も遠慮せず、対話できると面白いね!また深夜の2練でお話聞かせてください。僕もしゃべるけどね。
「同じ河に二度入ることはできない」ってヘラクレイトスは言ったそうだよ。そういう、あらゆるものは繰り返し揺らめいているって考えから万物を火になぞらえただけなのか…、もっと深い考えがあったのかは僕じゃぁわからんちん。