今日もユウスケはトロンボーンを吹いていた。
いつもと変わらない、そんな楽器と触れる毎日。
朝(まぁ、昼に近い朝)おきて、学校へ。講義にでて、楽器を練習して、バイト。帰宅。シャワー浴びて寝る。
これを1週間に7回繰り返す。この1週間をつきに4回、12セットで1年。。
やっぱり疑問を持つ。この山パンのアルバイトみたいな毎日に。そして、考える。この生活で何を得られているんだろう。
考えていくうちに、ユウスケが気づいたことがあった。それは、自分が「何かを考えている」ということだった。
これは、山パンではないんだ、と、ユウスケは確信を持つことができた。ユウスケが「考えた」ことは、楽器で演奏するということについて「考える」ことから発生したにもかかわらず、その意味を濃厚オケの範囲にとどめておくことはなかった。そのことに気づいたことが、ユウスケにとって、助けになった。
主観的にはそうなる。でも、もしかしたら、ユウスケがそう信じているだけなのかもしれない。
しかし、それについて否定することは「本当は」難しいんじゃないかと思う。
知識とは、信じることと同じじゃないか?
「人間がやること」って、すべて同じ本質をもっているんだと思う。だから、何をやるかじゃないんだ。どうやるか、そこが本質と結びついているんじゃないかな。簡単とか、難しいとかはあるだろうけど、できるできないじゃなくて、やるかやらないか、っていうよく言われる(意味がわかってるのかは知らないけど)ことになるんだろうね。
さぁ、はたしてユウスケも良くわかってないかもしれないが。。
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もうね、僕もね、わからないことだらけだね。
だから今の僕にとって無駄にできる時間は無いね…。
でも、結構無駄にしちゃっているけどね。
無駄にしてる時間に気づくことが無駄じゃない時ってあるんだけどね。
だからどっちが良いっていうんじゃないんかもね。