人が人を好きになるのってなぜなんだろう。
そういう感情まで遺伝子にコントロールされていることを考えると、生き物っていうのは制限の上に立って生かされているなと思う。所詮は遺伝子の殻でしかないのか。子孫を残すって言うことを生き物の生きている理由だとすると、そうなるような気がする。
でも、そうじゃないのかもしれない。
わからないことは考えない、そう言い出したのは誰だったか。そうなのかもしれない。この世のすべてに意味があるのか無いのか、誰にもわからない。ただ、それがあるだけなのかもしれない。どうなのかわからないが、ありそうだという気がしてきて、それを言い表せるなら、あると考えてもいいのかもしれない。でもそれはすごく似ているけど、違うものかもしれない。そうか、結局、言い表すことができても、わからないままなんだ。
まぁ、いいか。
ユウスケはチョコレートを食べながら少し考えていた。
「人が人をすきになるのってなぜなんだろう。」
子孫を残すためか?でもそれはずっと昔からそう考えてる人はいたでしょう。
同性愛者、子孫のこせないけど、好きなんだ。なんでだろう。いや、少なくとも、僕たちの人を好きになるという感覚は、性別に体の表面上の特徴があることよりももっとあいまいなんだと思う。みんな、少しは同姓のことを好きな気持ちはあるはずだという気がする。その気持ちの割合が問題なんじゃないかな。今のユウスケは女が好きという割合が大きいけど、いつその割合が大きく変化するかもしれない。でも、それはおかしいことではないのかもしれない。
個人のためなのかな、もしかして、好きになることって。それが、「欲」として遺伝子には書き込まれていて、結果としては子孫を残そうとしているように見えるけど…。だったらそれで子供ができなくてもいいのかもしれない。だから同姓愛でもいいのかもしれない。
そう考えると、子孫を残すってことと人を好きになるってことを切り離して考えられるかも。
あ!逆に考えると、子孫を残すことと人を好きになることは別でも良いってこと!?
すごい。。ここまで考え付くとは思わなかった。うーん。。これはまた別の機会に考えてみてもよさそうだ。
ユウスケはチョコレートの包み紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
明日は10時に鷺宮駅に行く用事がある。
「ふぅ、そろそろ寝なくちゃ」
ユウスケはシャワーを浴びるため、パソコンを閉じた。
でも、「愛」でもないんだよねー。全員が全員そうではないけどね。
でも、共学校は見られない光景。
つまり、やっぱり割合と環境なのかな…て
自分はそういうのはなかったけど、そのころは男子にめっぽう興味ありませんでした(笑)あえて言えば男子恐怖症。
男恐怖症は大学に入っていくらかは克服できたみたいだね。