最近、あるフルート吹き(以降ネズミと記す)が人生を立ち止まって考えているようだ。
簡単に言うと、音楽に疑問を抱いてしまった。そういうことだった。音楽をやる意味って、何ですか、と、そいつはユウスケに出会いがしら、質問をぶつけてきた。
それから一瞬の間に、ユウスケの頭の中には半年前の学生食堂の光景が広がった。ユウスケも、同じことを考えていた時期があった。今もその延長だけど。
あるヴァイオリン弾きの学生は言った。なぜ音楽をやるのかという問に対して、「楽器うまくなるのが単純に楽しい」と。なるほど、そういう時期もユウスケにはあったと思う。でも、その答えは、ネズミの質問に対する答えにはならない。楽器を弾くということは、音楽の本質ではない、と思う。音楽の一部ではあるが。ただ、楽器の上達に喜びを感じない人はいないとも思うし、だから楽器を練習する人もたくさんいるのは確かなこと。でも、よくよく考えてみると、楽器は音楽をするための手段でしかないとユウスケは感じている。手段は目標にならない。手段を目標とするとそれは哲学になってしまうね。
だから、それは音楽そのものを楽しんでいるわけではないんじゃないかな。
ユウスケは、半年前の学食で、自分はいままで「楽器をいかに演奏するか」ということにばかりエネルギーと時間を費やしてきたのだと気づいた。もしかしたら、楽器を演奏する、ということとは別のところに、「音楽」というものがあるのではないかと思うようになった。
そうなると、その「音楽」っていうものが何なのか、っていう疑問が必ず湧いてくる。
そう、それを考えなきゃ。答えの無い問いのような気がするが、考える過程が大事だと思う。そのときそのときの答えでも良い。そう思う。
さて、そんなことを一瞬で思い出したユウスケは、ネズミに何か答えたかった。ネズミのためというよりは、ユウスケの答えを聞いてネズミがどんなことを言ってくるのかという期待と、口に出すことで自分のなかでもう一度考えを整理できると感じたからだった。
ユウスケはネズミにこう言った。「世の中のすべてのものに『崇高な意味』があるわけではないんじゃない?」
音楽はなにか特別な力をもっているのだろうか。それともただ美しいだけなのだろうか。というか、ただ美しいだけなのは悪いのだろうか。
ネズミはこう言った。「音楽はただの娯楽なんですか?」
ネズミは、音楽には何かしっかりとした目的が備わっているのだと信じたいのだと思う。そうでないと、ネズミの中で何かが崩れてしまうかのような、そんな印象をユウスケは受けた。でも、そこで何かを崩せたら、ネズミはもっと楽にいろいろなことを考えられるようになるような気がする。
音楽はただの娯楽なのか。むしろ、ただの娯楽ではいけないのか。音楽の歴史としてみるべきなのか、今の社会の一部としてみるべきなのか、そこらへんもはっきりしない。というかよくわからない。
よくわからないことを考えることは、楽しい、でも、結局わからない。それって意味があるのないの?それすらもわからない。わからないことを考えてもわからない。これはわかりそうだ。
ユウスケや、ネズミや、そのほか大勢の音楽にかかわっている人は、なんで身を削るものとして「音楽」を選んだのか。ユウスケは本当はなんでも良いのだと思っている。音楽でなくても、スポーツでも、絵画でも、将棋でも、読書でも、なんでも。でも、何かやっているときって、それについて何か考える。そこが大事なんじゃないかと思う。ユウスケが常に思っていることだが、「何をやるかじゃなくて、どうやるかだ」ということは、何をやっていても、わかると思う。だから、ユウスケらアマチュアが何かやるときそれが音楽である必要はまったく無い。量子力学のちからを借りると、どうらや運命なんて無いらしい。道筋は異なっていても、人間はどこかに向かえるのかもしれない。わからないが。
もちろんこの話は「人間はなんのためにいるのか」という話に発展するんでしょうが、考えたってわからないんだ。だから、ずっと考えるしかないね。アダムとイヴはきっとそんなこと気にも留めていなかったと思うよ。
簡単に言うと、音楽に疑問を抱いてしまった。そういうことだった。音楽をやる意味って、何ですか、と、そいつはユウスケに出会いがしら、質問をぶつけてきた。
それから一瞬の間に、ユウスケの頭の中には半年前の学生食堂の光景が広がった。ユウスケも、同じことを考えていた時期があった。今もその延長だけど。
あるヴァイオリン弾きの学生は言った。なぜ音楽をやるのかという問に対して、「楽器うまくなるのが単純に楽しい」と。なるほど、そういう時期もユウスケにはあったと思う。でも、その答えは、ネズミの質問に対する答えにはならない。楽器を弾くということは、音楽の本質ではない、と思う。音楽の一部ではあるが。ただ、楽器の上達に喜びを感じない人はいないとも思うし、だから楽器を練習する人もたくさんいるのは確かなこと。でも、よくよく考えてみると、楽器は音楽をするための手段でしかないとユウスケは感じている。手段は目標にならない。手段を目標とするとそれは哲学になってしまうね。
だから、それは音楽そのものを楽しんでいるわけではないんじゃないかな。
ユウスケは、半年前の学食で、自分はいままで「楽器をいかに演奏するか」ということにばかりエネルギーと時間を費やしてきたのだと気づいた。もしかしたら、楽器を演奏する、ということとは別のところに、「音楽」というものがあるのではないかと思うようになった。
そうなると、その「音楽」っていうものが何なのか、っていう疑問が必ず湧いてくる。
そう、それを考えなきゃ。答えの無い問いのような気がするが、考える過程が大事だと思う。そのときそのときの答えでも良い。そう思う。
さて、そんなことを一瞬で思い出したユウスケは、ネズミに何か答えたかった。ネズミのためというよりは、ユウスケの答えを聞いてネズミがどんなことを言ってくるのかという期待と、口に出すことで自分のなかでもう一度考えを整理できると感じたからだった。
ユウスケはネズミにこう言った。「世の中のすべてのものに『崇高な意味』があるわけではないんじゃない?」
音楽はなにか特別な力をもっているのだろうか。それともただ美しいだけなのだろうか。というか、ただ美しいだけなのは悪いのだろうか。
ネズミはこう言った。「音楽はただの娯楽なんですか?」
ネズミは、音楽には何かしっかりとした目的が備わっているのだと信じたいのだと思う。そうでないと、ネズミの中で何かが崩れてしまうかのような、そんな印象をユウスケは受けた。でも、そこで何かを崩せたら、ネズミはもっと楽にいろいろなことを考えられるようになるような気がする。
音楽はただの娯楽なのか。むしろ、ただの娯楽ではいけないのか。音楽の歴史としてみるべきなのか、今の社会の一部としてみるべきなのか、そこらへんもはっきりしない。というかよくわからない。
よくわからないことを考えることは、楽しい、でも、結局わからない。それって意味があるのないの?それすらもわからない。わからないことを考えてもわからない。これはわかりそうだ。
ユウスケや、ネズミや、そのほか大勢の音楽にかかわっている人は、なんで身を削るものとして「音楽」を選んだのか。ユウスケは本当はなんでも良いのだと思っている。音楽でなくても、スポーツでも、絵画でも、将棋でも、読書でも、なんでも。でも、何かやっているときって、それについて何か考える。そこが大事なんじゃないかと思う。ユウスケが常に思っていることだが、「何をやるかじゃなくて、どうやるかだ」ということは、何をやっていても、わかると思う。だから、ユウスケらアマチュアが何かやるときそれが音楽である必要はまったく無い。量子力学のちからを借りると、どうらや運命なんて無いらしい。道筋は異なっていても、人間はどこかに向かえるのかもしれない。わからないが。
もちろんこの話は「人間はなんのためにいるのか」という話に発展するんでしょうが、考えたってわからないんだ。だから、ずっと考えるしかないね。アダムとイヴはきっとそんなこと気にも留めていなかったと思うよ。
PR
トラックバック
トラックバックURL: