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2025/04/30 14:15 |
さーふぇいす
忘れないように、書いているだけなんですけどね。

芸術ではよく、「崩す」といいます。たぶん。
型にはまっているままではまだ青いっていうことなんだと思いますが、ただ崩すのではなくて、自分風に崩す、といいますか、自分色をだすっていうことなんでしょうね。周知だと存じます。

僕にとっては、型をみつけるのが大変で。。
なにごとも真似することから始まるのはそういうことなんだと思いますが、ただ真似をしてもそれは型を見つけることではないのだと思います。

若い画家は模写っていうことをするみたいです。巨匠の絵画を目に焼き付けて、むしろ心に焼き付けているのかもしれませんが、その後その絵を目の前の白紙の紙に描いていくという、そういう練習?
これは、絵画の分野では確立されたことなのだという気がします。ただ巨匠の絵を鉛筆でなぞるだけではないのです。ここがミソです。心に巨匠の絵画の情報を焼き付けていますので、ここから、模写する画家の中で、絵画を再構築する必要があります。その過程はもしかしたら、巨匠がその絵画を書くときの心境をなぞることに近いのかもしれないと、思いました。これは、結果から原因を探るということを、やっているのです。

とはいっても、僕が実際にやったわけではないので、想像ですけどね。

真似をするってこういうことなのかな、と思います。型を見つけるってこういうことなのかな。


僕が書いていることも、「結果」です。あなたが発言することも「結果」です。でもそれらには必ず理由か背景があります。それは必ずしも表面に現れてきませんし、言葉で通じ合えるものとも限りません。その場、その時で、受け取る人が考えなければなりません。でも、知ろうとしなければ、そんな問すら存在しません。
なにも芸術だけに言えることではないのだと信じています。

型にはまり、そして型からでる。という芸術を会得するひとつの手法と、僕の考えていることの一致するところをみつけました。過去を知り、現在の自分の行いを決めるという、ことです。過去があって、今がある、今僕らはなにをするのか。でも、僕がちゃんと芯をとらえているのか、ちょっと不安です。


最近そんなことばかり考えていますね。そろそろ社会に出る時期が近づいてきたからなんでしょうか、早く答えを出してしまいたいとどこかで思っているのかもしれません。あせらなくてもいいのはわかっているのですが、若いので仕方ないのだと思います。役割があるのかないのか、まったくわかりません。どっちでもいいのかもしれません。

今のところは楽しく生きようと思います。
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2007/03/13 03:39 | Comments(0) | TrackBack() | the second act

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