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2025/07/11 16:39 |
ep.06 日本の女性

人の体というのは本当に「よく」できている。材料のほとんどはただのたんぱく質だが、それらが一つ一つ形をもっており、動く。そのため、機能を持っている。その機能が複雑に絡み合っているのかどうなのかは知らないが、「人」という大きな分子の集合体をつくっている。その「人」にたいしてなんらかの外界からのアプローチがあったときには、それに対してある程度決まった反応をするようにできている。

たとえば、アルコールは体内でアセトアルデヒドに分解され、アセトアルデヒドはアセトアルデヒド脱水素酵素によって酢酸に分解される。最終的には水と二酸化炭素とに分解され体外に排出されるらしいが、アセトアルデヒド脱水素酵素の働きが弱く、なおかつ代謝能力以上のアルコールを摂取すると、、頭痛、嘔吐感、喉の渇き、胸のむかつき、体の震え、アルコール性胃炎による悪心などの自覚症状が現れる。

これは、いわゆる二日酔いと呼ばれ、アセトアルデヒドの毒性のために起こる症状であると考えられているが、最近の研究ではアセトアルデヒドの血中濃度が下がったあとに二日酔いが起こるとから、原因はアセトアルデヒドではなく、アルコールがある種の神経細胞に作用することで血中のカテコールアミンという物質が増加するためではないかという見方もある。

対処法は、肉体的には脱水症状を起こしている為、大量に水分をとることと、肝臓でのアルコール分解には糖分が必要であるため、糖分をとることも有効である。

 

「なるほど…」

ユウスケはおもむろに起き上がり、とりあえず水分をとるために台所へ這っていった。

いつも思う。こんなになる前に飲むのをやめておくんだった…と。久しぶりに飲んだからどこまでがリミットかという感覚を忘れていたのかも…と自分自身に言い訳をしてみるが、この地獄から逃れられるわけではなかった。むしろ虚しさが増してくる。

「これが、形而上学的二日酔いというやつか…」

そう何やらつぶやくと、ユウスケは台所で力尽きた。。

 

 

日本の女性について、書く。どころじゃない…。

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2007/02/07 14:36 | Comments(2) | TrackBack() | the first act
落花生とピーナッツの違い

僕は千葉県出身だ。

先日、「節分の日には千葉では大豆じゃなくて落花生をまくことはあるのか」、と聞かれた。

そんなことはない。県唯一の特産物を投げるか。。それしかないのに。

ところで、落花生と同じ意味のように使われているピーナッツ。これは落花生と同じものをさしているのか違うのか。

どうなんでしょうね?落花生についてちょっと調べてみた。(太字以外は読み飛ばしてもいいよ)

 

「落花生」

ラッカセイ(落花生)は、マメ科ラッカセイ属の一年草。別名はナンキンマメ(南京豆)、方言名は地豆(ぢまめ)、唐人豆(とうじんまめ)など。英語名のピーナッツ、peanutは日本では食用とする種子を指す場合が多い。ground nutともいう。学名はArachis hypogaea。南米原産で中国を経由して日本に持ち込まれた。

受精したあと、子房と花托との間が伸びて地中に潜り込み、実を作ることから落花生の名前が付けられた。

  (あれ…ピーナッツってただの英語名ってこと?笑)

食べる時は、殻のまま炒るか殻からむいたものを炒る。もしくは炒った後にバターを絡めるが、最近では殻のまま塩茹でする方法(塩ゆでピーナツ)も広まってきている。中国では八角などの香辛料を加えて塩茹でする方法や、油で揚げてから塩をまぶす方法も一般的である。千葉県の名産品には「落花生の甘納豆」が存在している。

  (「落花生の甘納豆」って僕、初耳!)

沖縄ではジーマミ(地豆)とよび、これをつかったジーマミドーフというのもある。ごま豆腐に似た感触のものである。

  (ジーマミドーフうまいよねぇ。沖縄料理屋でバイトしてる人がいたら買ってきてくれないかなぁ。)

北海道では節分には殻付きの落花生を蒔く。

  (らしいですよ!!!!北海道の方、コメントください!)

県別の生産量では、千葉県が突出しており、74.6%を生産している。千葉県中央部の八街市で生産されているものは、品質が良く有名である。

 

「Peanut 

The peanut, or groundnut (Arachis hypogaea) is a species in the legume family Fabaceae native to South America. It is an annual herbaceous plant growing to 30 to 50 cm (1 to 1 1/2 feet) tall. The leaves are opposite, pinnate with four leaflets (two opposite pairs; no terminal leaflet), each leaflet 1 to 7 cm (1/3 to 2.75 inches) long and 1 to 3 cm (1/3 to 1 inch) broad. The flowers are a typical peaflower in shape, 2 to 4 cm (3/4 to one and a half inches) across, yellow with reddish veining. After pollination, the fruit develops into a legume 3 to 7 cm (1 to 2 inches) long containing 1 to 3 (rarely 4) seeds, which forces its way underground to mature.

(peanutあるいはgroundnutは、南アメリカ起源のマメ科の植物です。一年生草本植物で、30~50cmまで成長します。4枚の葉は2枚ずつが互いに羽状に向かい合ってついており、一枚あたりの葉の長さは1~7cm、幅は1~3cmになります。花は典型的なマメ科植物の形をしており、直径2~4cmになり色は黄色で、赤みを帯びた脈配列を見ることができます。受粉の後、果実は3~7cmになる鞘に成長します。鞘には1~3つの種子が含まれており、鞘の成長をもって果実が熟したことを知ることができます。)

すみません。もう読む気になれません。日本と欧米とでは見てるところが少し違うのかなー。。まだ文章は続いていたけども。

 

結論

北海道では落花生をまくのかもしれないが、そんなことはどうだっていい。ピュタゴラスはなんでソラマメを嫌ったんだろう。そっちのほうが気になる。

以上。


2007/02/05 04:49 | Comments(5) | TrackBack() | 模写勉強
ep.05  トニーノ・カポーネ

さて、春休みに向けて濃厚大の学生は「試験」という伝統に追われている。

いつもであればガラガラの図書館も、この時期になると席がなくなるくらいの混みようである。

構内のいたるところで、自分のやるべきレポートや試験があとどれくらい残っているのか、ということを学生が報告しあっている。みんなそれなりに「試験」を楽しんでいそうだった。

当然ユウスケも例外ではなく、「試験」を受けなければならないのだが、彼は古代ギリシャの哲学について調べることに楽しみを見出してしまった。よりによってこんな時期に…。

ユウスケが見つけた本の中に『ギリシャ哲学史』(ルチャーノ・デ・クレシェンツォ)があった。筆者が読者に講義するような形式で書かれているこの本には、ソクラテスよりも時代の古いギリシャ圏の哲学者の話が載っており、2000年も昔に生きていた人間がどのようなことを考えていたのかということに思いを馳せることができた。

メインはそれら古の哲学者たちの逸話が筆者の解釈を通して書かれているわけだが、章と章の間には、ごく最近の哲学者?の話が番外編のように載せてある。どれも面白い話だが、その中のある一つの話を読んだとき、ユウスケはまるでその哲学者を見方につけたかのような喜びを感じた。その哲学者は、トニーノ・カポーネというそうだ。その本の中で、彼は「豊かさ」についてこう考えていた。

「私はね、豊かさとは、精神状態に過ぎんと思うよ。人は金がそんなになくても金持ちの気分になれるものなんだ。肝心なのは、稼ぎより少ししか支出しないこと、欲求をあれこれもたぬことさ」 

哲学者?の使う言葉は(正確に言うと、哲学者だけに限らず本人以外の人の話す全ての言葉は)、僕らが普段なにげなく使っている言葉とは意味が違う場合が少なからずあるとユウスケは感じていた。だから、このカポーネの言葉を解読するときにも、気をつけて意味を理解しようと努めた。だが、この場合は素直に受け止めてよさそうだ。

そのまま読み進めていくと、このカポーネの説明のためにさいてある最後のページが彼の次の一言で締めくくられていた。

「多くの人々は何とかして生命を延ばそうと腐心する。ほんとうは生活を深める必要があるのに!」

なんということはない、あぁ…そう、と思った人もいるかと思う。わざわざ斜線にする重要性があるのか、と。でも、ユウスケにとってこの言葉は額に入れて飾っておきたいくらいだった。それは、ユウスケもこのカポーネと「おなじようなこと」を感じていたからだ。どういうことか、ぜひお話させていただきたい!

日本人の死亡原因は、悪性新生物つまり癌が圧倒的に多い。高齢化社会になってきているのもあるせいかもしれないが、高齢になると癌での死亡率が増す傾向がある。逆に若い層での死亡は事故や自殺が多いのだ。20代の死亡原因の約30%が自殺だという衝撃の事実はまたここに書くべき考えが浮かんだら言及することにして、今言いたいことは、人は寿命を生きると癌で死ぬようにプログラムされているのではないかということ。少なくとも癌が治療されるようになれば、人はなかなか死ねなくなりそうである。

もしも、癌を治療することが高確率で可能になれば、日本人の寿命をもっと延ばすことができる!多くの癌研究に携わる人はそれが人の幸せにとって欠かせないことだと信じているかもしれない。たしかに、若いうちの癌は、不慮の事故のようなもので、成長期に有る体細胞はさかんに分裂したがっているからその勢いが癌細胞を後押ししてしまい、結果短期間で癌細胞が増殖し人間本体を死に至らしめることになってしまう。これは治療できるのならしてあげたいと願う。そういう意味で癌治療研究を否定するつもりは全く無い。

だが、人間(か、あるいは自然界)にプログラムされているとするなら、その癌が、その役割を果たすために”正常に”動き出すのだとしたら、それは自然の摂理であり、本来避けなくても良いことなのかもしれない。もし研究がうまくいき、癌が治療され、人間がその恐怖から永遠に別れを告げることに成功したのなら、あと10年は寿命が延びるかもしれない。…でも不死ではないのだ!結局、死というものは必ず来る。癌を克服した人間は、与えられたその10年でなにができるのか?家族との思い出を作る?仕事にかける時間を増やす?趣味に没頭する?

いや、その10年をどのように過ごすことができるかということを言いたいのではない。日本人は、とにかく健康に気を使い、長生きしようとはするけども、どう生きるかということについて考えたことがあるだろうか。

「豊かさ」ということについてカポーネが言っている。収入の絶対値を増加させることがすなわち「豊かさ」なのでは無いのだと。収入と支出の相対的な関係が「豊かさ」なのだと。

「生きる」ということについて、カポーネの言葉を借りて言ってみよう。生存している時間の絶対値が増加することがすなわち「生きる」ことなのか。。

ユウスケは考えることを楽しんでいるようだった。来週は「試験」の山場だというのに…。考えることは人間にとって必要なことだろうが、ある有名な哲学者は実際の現実に起きていることにあまりに無関心だったがために、ただの兵士に街中であっさり殺されてしまった。

そういえば、アリストテレスはこんなことを言っていた。「中庸」が良いと(笑)


2007/02/03 06:45 | Comments(1) | TrackBack() | the first act
episode_04 そしてブラ1を

「わがままな執着心」のおかげで、ユウスケはブラームスを客席で聞くことに成功した。

ビーー!

ブザーが鳴り、演奏者がぞろぞろとステージに入ってきた。その中には千先輩と上戸の姿もある。客席の照明が明るいままだったので、ステージ上からも客の顔が見えていただろう。ユウスケは、自分のことを発見してもらえないかな、と少し期待したが、この満席の客席の中から探し出すのは難しかったのかもしれない。先程からずっと投げかけている目線が合わない。

淡い期待は某テレビ番組の納豆のごとく裏切られ、客席の照明が落ちると間もなく、コンサートミストレスが桜の拍手とともに入場してきた。A-っとオーボエがロングトーンすることろに弓の真ん中あたりでちょんっと弦に触れさらっとチューニングを済ませ、指揮者の入場を待つことしばし、入ってきた指揮者はユウスケともそれほど歳が離れているような外見ではなかった。若いなー(自分よりは間違いなく年上だとは思ったが)とユウスケは思った。どんな指揮を振るのか楽しみだった。

静まり返るホール。これからホールいっぱいに響くはずの1楽章の冒頭部が頭の中で何度もリピートされている。期待が高まる。どんなはじめの一音を聞かせてくれるのか。この静けさまでもがブラームスの計算に入っていたのではないかと思うくらい、唐突に始まるあの冒頭。客席の空気を3打のリズムに縛り付けるティンパニ…。さあ、指揮者が振りかぶって、くる!灼熱の炎の中でもだえるかのような音の緊張が客席を照らし出した。このオケは上手い。若いせいもあるのか、曲をぐいぐいとひっぱってゆく。…。…。うん…?

宇宿先生曰く、「だ・め・だ」というヴァイオリン、チェロの3つの音の執拗な並びがぜんぜん「だめ」じゃない。むしろ、「な・に・が?」という風に聞こえてくる。なにが、「なにが?」だー!!と勝手に一人で熱くなるユウスケ。このオケは上手いのに…。

弦楽器は音程良いし、木管の音色もきれい。トロンボーンのハーモニーはユウスケには真似できないと感じたし、オーケストラの表現の幅がユウスケのオケのよりもはるかに広く深いと思った。指揮をしている人もきっとこのブラームスに対してユウスケよりも音楽的に深い考察をもっているに違いない。…でも、…それでも素人一人満足させることすら難しいのだ。。音楽は楽器が上手くてもだめなんだ。表現力があっても違うんだきっと。ユウスケはなにかそんな気がしていた。

ブラームスは、しかし、とても良かった。トランペットがやたら浮いていたがそれを気にしないとすると、あと、ティンパニが…メトロノームのようだったことをのぞいては、トロンボーンのコラールもきれいだったし、クラリネット美しかったし、個人的な好みでは低音弦楽器群がもうすこしほしかったけれど、でも良かった。いくとこでいって、ひくとこでひいていた。すごくきれいだった。とユウスケはそういう感想を持った。でも。コンミスが笑顔じゃなかったのが良くないな、と思った。

「ビジュアルで音の聞こえが変わるのかもしれない。コンミスは『上手』だったけれど、どこかつまらなそうな顔をしていた。人間のコミュニケーションの基本は顔でしょ。音楽だってコミュニケーションなんだから…。冗談でビジュアル系の演奏なんていうけれど、まんざらでもないのかもしれない」

ぶつぶつと独り言をつぶやいていたが、自分はやたら文句ばかり言っているなとユウスケは少し恥ずかしくなった。

 

終演後、上戸と千先輩に会って少し話すことができた。

僕も恥ずかしくないくらいに楽器が操れるようになったら是非一緒に演奏してもらいたい。とユウスケは思った。

その後、うっちーと高校時代の先輩たち数人と、もんじゃを食べ、一丁目に移転したヤマハ銀座店に寄ったが、30分前に閉店していた。山野楽器に寄り、バストロンボーンのセミハードケースを物色した。KTLのケースも安い割にはしっかりしてそうでいい感じだった。でもなんでこれは安いの?日本製なのか?また今度調べてみることにしよう。どうせ今はケースを買うだけの金が無い。

帰り道、電車に揺られながらユウスケは考えていた。

音楽には技術と音楽性がある。技術は表面的で、音に現れるから、わかりやすい。音楽性は、うたうようなことで、それは技術ではなくて感性だ。音楽性を追い求めれば、技術はそれについてくるんだろう。と。

しかし、後にユウスケはこの自分の考えが、なにかを見落としていたことに気づく。


2007/02/01 18:02 | Comments(1) | TrackBack() | the first act
episode_03 ブラ1を聞く

現れた二人は誘導の係ではなかった。申し訳なさそうな顔でこう切り出した。

「みなさん、今日はご来場ありがとうございます。

…今日は大変な盛況でして、…ご覧のようにたくさんのお客様がいらっしゃっていただき、現在空き席が無い状況です。大変申し訳ありませんが、満席のため客席にはご案内できません。そこでこちらからの処置としましては、このままメインの曲もこのモニターで見ていただくということと、次回の演奏会への招待状をご希望の方には今日お渡しするという形で、…今日招待状でいらっしゃった方もおられるかもしれませんが…、そういう形をとらせていただきたいと…」

モニターの前で待っていた客からはどよめきが…聞こえてきてもよさそうだったがみんなだまって、満席ならしかたないか、みたいな顔をしていた。そういうものなのかな、とユウスケは思った。

(日本人はなんてお人よしなんだ…。チケットだって無料じゃないのに。僕はチケットをもらったから文句は言えないが、この人たちはアマチュアの演奏をお金を払って聞きにきているのに、自分の席がないことになんの疑問も無いのか?)

おそらく、あの場にいた客は演奏会というものについてあまり考えたことが無いのだ。遅れてきた自分に一番の非があると思い込んでいるのかもしれない。アマチュアが1000円の入場料をとるという大それたことをやっていることになんの疑問も持たず、なおかつ席が足りなくて客席に入れないなんてことを言われたのに、自分がもう少し早く家を出ていれば…と自らの行いを後悔しているのだ。しかしユウスケは納得することができなかった。

(もしかしたら、確かに今ここにいる人たちぶんの席は無いかもしれないが、ひとつやふたつはあいているんじゃないか?それに、前プロ中プロを聞いて帰る人もいるかもしれないし。一度客席に行って探してみよう)

ユウスケはそう考えて、モニターの前で次回演奏会の招待状を受け取っている客を後に、ホールがある階へのエスカレーターへ向かった。とほとんど同時に携帯に着信があった。今日一緒に演奏を聞きに行こうと約束していた、高校から一緒にトロンボーンを始めたうっちーからだった。

「あ。うっちーだ。」携帯の通話ボタンをおした。

「はい、もしもし。」

  「あぁ、牧くん?いまどこ?」

「いま、ホールの下のロビーだよ。なんかさっき満席で入れないって言われちゃってさ」

  「えぇ?」

「でも、いまから一応行ってみるよ。あ。うっちーは前中聞いてたんだよね。じゃあメインの間僕に席ゆずってよ(笑)」

  「はぁ?(笑)」

などと冗談を言っている間に人の波の対岸にうっちーをみつけた。うっちーに先程の話をすると、ありえないね、と言っていた。とりあえず二人は客席に入った。うっちーは最前列右側で聞いていたらしい。たしかに人が多く、最後列から中ほどまで歩いてきたが空いている席は無い。あまり大きいホールではなく、2階席はホールをぐるっと囲むようにあるが、1階席とあわせても1000人ちょっとの収容といったところだろうか。モニターに逆戻りすることを少し考え始めたとき、半分より前の中央の席にパンフレットが置かれていない席を見つけた。これは!すぐさま隣の女性に尋ねる。

「すみませんが、こちらの席は空いていますか?」

  「えぇ、どうぞ」

見ろ!キタ!おもわずうっちーに振り向いてこう言った「やったw」

タイトルの「ブラ1を聞く」まで話が進まなかったが、読む人が飽きてしまうだろうので、次回に回そう。


2007/02/01 05:34 | Comments(0) | TrackBack() | the first act

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