「わがままな執着心」のおかげで、ユウスケはブラームスを客席で聞くことに成功した。
ビーー!
ブザーが鳴り、演奏者がぞろぞろとステージに入ってきた。その中には千先輩と上戸の姿もある。客席の照明が明るいままだったので、ステージ上からも客の顔が見えていただろう。ユウスケは、自分のことを発見してもらえないかな、と少し期待したが、この満席の客席の中から探し出すのは難しかったのかもしれない。先程からずっと投げかけている目線が合わない。
淡い期待は某テレビ番組の納豆のごとく裏切られ、客席の照明が落ちると間もなく、コンサートミストレスが桜の拍手とともに入場してきた。A-っとオーボエがロングトーンすることろに弓の真ん中あたりでちょんっと弦に触れさらっとチューニングを済ませ、指揮者の入場を待つことしばし、入ってきた指揮者はユウスケともそれほど歳が離れているような外見ではなかった。若いなー(自分よりは間違いなく年上だとは思ったが)とユウスケは思った。どんな指揮を振るのか楽しみだった。
静まり返るホール。これからホールいっぱいに響くはずの1楽章の冒頭部が頭の中で何度もリピートされている。期待が高まる。どんなはじめの一音を聞かせてくれるのか。この静けさまでもがブラームスの計算に入っていたのではないかと思うくらい、唐突に始まるあの冒頭。客席の空気を3打のリズムに縛り付けるティンパニ…。さあ、指揮者が振りかぶって、くる!灼熱の炎の中でもだえるかのような音の緊張が客席を照らし出した。このオケは上手い。若いせいもあるのか、曲をぐいぐいとひっぱってゆく。…。…。うん…?
宇宿先生曰く、「だ・め・だ」というヴァイオリン、チェロの3つの音の執拗な並びがぜんぜん「だめ」じゃない。むしろ、「な・に・が?」という風に聞こえてくる。なにが、「なにが?」だー!!と勝手に一人で熱くなるユウスケ。このオケは上手いのに…。
弦楽器は音程良いし、木管の音色もきれい。トロンボーンのハーモニーはユウスケには真似できないと感じたし、オーケストラの表現の幅がユウスケのオケのよりもはるかに広く深いと思った。指揮をしている人もきっとこのブラームスに対してユウスケよりも音楽的に深い考察をもっているに違いない。…でも、…それでも素人一人満足させることすら難しいのだ。。音楽は楽器が上手くてもだめなんだ。表現力があっても違うんだきっと。ユウスケはなにかそんな気がしていた。
ブラームスは、しかし、とても良かった。トランペットがやたら浮いていたがそれを気にしないとすると、あと、ティンパニが…メトロノームのようだったことをのぞいては、トロンボーンのコラールもきれいだったし、クラリネット美しかったし、個人的な好みでは低音弦楽器群がもうすこしほしかったけれど、でも良かった。いくとこでいって、ひくとこでひいていた。すごくきれいだった。とユウスケはそういう感想を持った。でも。コンミスが笑顔じゃなかったのが良くないな、と思った。
「ビジュアルで音の聞こえが変わるのかもしれない。コンミスは『上手』だったけれど、どこかつまらなそうな顔をしていた。人間のコミュニケーションの基本は顔でしょ。音楽だってコミュニケーションなんだから…。冗談でビジュアル系の演奏なんていうけれど、まんざらでもないのかもしれない」
ぶつぶつと独り言をつぶやいていたが、自分はやたら文句ばかり言っているなとユウスケは少し恥ずかしくなった。
終演後、上戸と千先輩に会って少し話すことができた。
僕も恥ずかしくないくらいに楽器が操れるようになったら是非一緒に演奏してもらいたい。とユウスケは思った。
その後、うっちーと高校時代の先輩たち数人と、もんじゃを食べ、一丁目に移転したヤマハ銀座店に寄ったが、30分前に閉店していた。山野楽器に寄り、バストロンボーンのセミハードケースを物色した。KTLのケースも安い割にはしっかりしてそうでいい感じだった。でもなんでこれは安いの?日本製なのか?また今度調べてみることにしよう。どうせ今はケースを買うだけの金が無い。
帰り道、電車に揺られながらユウスケは考えていた。
音楽には技術と音楽性がある。技術は表面的で、音に現れるから、わかりやすい。音楽性は、うたうようなことで、それは技術ではなくて感性だ。音楽性を追い求めれば、技術はそれについてくるんだろう。と。
しかし、後にユウスケはこの自分の考えが、なにかを見落としていたことに気づく。
現れた二人は誘導の係ではなかった。申し訳なさそうな顔でこう切り出した。
「みなさん、今日はご来場ありがとうございます。
…今日は大変な盛況でして、…ご覧のようにたくさんのお客様がいらっしゃっていただき、現在空き席が無い状況です。大変申し訳ありませんが、満席のため客席にはご案内できません。そこでこちらからの処置としましては、このままメインの曲もこのモニターで見ていただくということと、次回の演奏会への招待状をご希望の方には今日お渡しするという形で、…今日招待状でいらっしゃった方もおられるかもしれませんが…、そういう形をとらせていただきたいと…」
モニターの前で待っていた客からはどよめきが…聞こえてきてもよさそうだったがみんなだまって、満席ならしかたないか、みたいな顔をしていた。そういうものなのかな、とユウスケは思った。
(日本人はなんてお人よしなんだ…。チケットだって無料じゃないのに。僕はチケットをもらったから文句は言えないが、この人たちはアマチュアの演奏をお金を払って聞きにきているのに、自分の席がないことになんの疑問も無いのか?)
おそらく、あの場にいた客は演奏会というものについてあまり考えたことが無いのだ。遅れてきた自分に一番の非があると思い込んでいるのかもしれない。アマチュアが1000円の入場料をとるという大それたことをやっていることになんの疑問も持たず、なおかつ席が足りなくて客席に入れないなんてことを言われたのに、自分がもう少し早く家を出ていれば…と自らの行いを後悔しているのだ。しかしユウスケは納得することができなかった。
(もしかしたら、確かに今ここにいる人たちぶんの席は無いかもしれないが、ひとつやふたつはあいているんじゃないか?それに、前プロ中プロを聞いて帰る人もいるかもしれないし。一度客席に行って探してみよう)
ユウスケはそう考えて、モニターの前で次回演奏会の招待状を受け取っている客を後に、ホールがある階へのエスカレーターへ向かった。とほとんど同時に携帯に着信があった。今日一緒に演奏を聞きに行こうと約束していた、高校から一緒にトロンボーンを始めたうっちーからだった。
「あ。うっちーだ。」携帯の通話ボタンをおした。
「はい、もしもし。」
「あぁ、牧くん?いまどこ?」
「いま、ホールの下のロビーだよ。なんかさっき満席で入れないって言われちゃってさ」
「えぇ?」
「でも、いまから一応行ってみるよ。あ。うっちーは前中聞いてたんだよね。じゃあメインの間僕に席ゆずってよ(笑)」
「はぁ?(笑)」
などと冗談を言っている間に人の波の対岸にうっちーをみつけた。うっちーに先程の話をすると、ありえないね、と言っていた。とりあえず二人は客席に入った。うっちーは最前列右側で聞いていたらしい。たしかに人が多く、最後列から中ほどまで歩いてきたが空いている席は無い。あまり大きいホールではなく、2階席はホールをぐるっと囲むようにあるが、1階席とあわせても1000人ちょっとの収容といったところだろうか。モニターに逆戻りすることを少し考え始めたとき、半分より前の中央の席にパンフレットが置かれていない席を見つけた。これは!すぐさま隣の女性に尋ねる。
「すみませんが、こちらの席は空いていますか?」
「えぇ、どうぞ」
見ろ!キタ!おもわずうっちーに振り向いてこう言った「やったw」
タイトルの「ブラ1を聞く」まで話が進まなかったが、読む人が飽きてしまうだろうので、次回に回そう。
ユウスケは電車にゆられている。先ほどまでの焦りはもうない。
開演は14:00。現在13:55。
…。
地下にもぐりこんでいる駅の出入り口から出、会場に行く途中で出演者の千先輩と上戸にお決まりどおりに差し入れを買うことにした。どちらにしろもう開演には間に合わないのだから。。
高校時代、一緒のステージに乗っていたときの差し入れはなぜか「リポD」と決まっていた。が、しかし、もう僕らもハタチを過ぎた。今回は「ウコンの力」にしておこう。ユウスケはウコンの力を2本買った。これからはこれが定番になっていくのかもしれない。
駅から会場までは近かった。走って5分くらいだろうか。きれいに舗装され一車線程度の幅がある歩道は、走ると少し気持ちよかった。大きな川に架かる橋をわたり歩道橋をこえると、すぐ目の前に第一生命ホールのある建物が待ち構えている。やたらでかい。。野外に動く歩道がある。。ここまでくると、もしかしたら間に合うかもと思ってしまう。間に合わないのに。とにかくエスカレーターでホールの入り口に急いだ。まぁ、間に合わなかったが。
出演者の上戸にチケットをお願いして、受付ちかくに用意してもらっていた。チケットの受付のお姉さんからチケットが入っているはずの茶封筒を受け取るとなぜか少しずっしりときた。見た目も少し膨らんでいる。
「お土産も入ってるみたいですよ。」
受付のお姉さんが少し笑いながら教えてくれた。この人、上戸と仲良いのかな。とか思いながらユウスケも少し笑って答えた。封筒を開けると、横幅ぴったりに収まっている手のひらに乗るくらいの時計と、いままさに演奏が始まろうとしている演奏会のチケットが2枚入っていた。
その時計の横幅のぴったり具合に、このようにうまく封筒の中に時計を収めようとしてる上戸を想像してしまって少し笑ってしまった。ユウスケがこの時計を手に取り眺めるためには封筒を破るほか無かったので、時計は帰ったらじっくり見ることにし、開演に間に合わなかった人のためのモニターの前にできている集団に加わることにした。やはり遅れたら休憩時間にならないと客席には入れてもらえないらしい。
オープニングはこれにふさわしいロッシーニのウイリアムテルだ。この曲は頭に聞かせどころがくる。チェロ…。そしてトロンボーン吹きは少し期待してしまう嵐の場面。ちなみに千先輩も上戸もトロンボーンだ。このオケでは千先輩はユウスケと同じバストロンボーンを演奏している。先輩の音は、きれいだし、安心して聞ける。大学に入って自分も少しは成長したが、やっぱりまだ千先輩にはかなわないかな…とユウスケは感じた。同時に自分も楽器を吹きたい衝動にかられた。
このオケはどうやら指揮者もアマチュアらしい。こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないが、指揮者がひっぱっているというよりは、みんなで作っているという感じがした。でもフィナーレへのもって行き方は面白かった。そして盛り上がって曲が終わる!会場では拍手喝采!モニターの前には微妙な雰囲気が漂う。ユウスケは拍手しそうになったが、少し空気を読んだ。
2曲目のハイドンのホルンなんたらという30~40分の曲がのったりと画面の向こうで演奏されている中、ユウスケは考えていた。このハイドンの曲ではホルンがハイトーンを何度も吹くのだが、ことごとくはずしていたのだ。「音を出す」ということは「音楽」の本質ではないとユウスケは考えていたので、べつにホルンが何度音をはずそうが知ったことではなかったのだが、ひとつわかったことがあった。原形をとどめないほどに音をはずすのは、その音楽を聴く上でどうしても障害になる。…当たり前の命題をひとつ発見した。それにつけて、オケの出す音もあまり面白いと思わなかった。古い音楽ほど、純粋に演奏しなければいけないのかもしれない。このことは、オケの曲を日本人の本能で演奏してしまうと何かが違う、という話に似ているのかもしれない。つまり、ヨーロッパ人によって作られたこれらの曲や楽器はいわばヨーロッパ人が演奏したときに最適になるように作られているという考え方ができるのではないかということである。古い楽曲はその当時の人々の感性や、楽器の特徴、奏法に合わせて作られているはずである。
ちょっとわき道にそれるが、料理は地域に伝統的な形が存在する場合があるが、これが他の国へ輸出され時を経たとき、まったく同じ形で保存されているということはまずないだろう。たとえば、中国の焼きそばはもっぱら塩味であるが、日本ではソース焼きそばも塩と同じくらい食べられる。これほど顕著ではなくとも現地の人に合った味付けや調理のしかたに少しずつシフトしていくのは当然であると思う。音楽にもこれが言えるだろう。
だから、こういう問題はひとつの要素だけでは一概に良い悪いは言えないのだと思う。楽曲は従来のために作られているという考えと、料理と同じように、時と場所が変われば音楽も変化していくものであるという考えの二つ、あるいはまた違う考えもあるかもしれないが、それらのうちどれが間違っていて…という話ではないだろう。そのなかでどうするか、ということなんだと思う。
そんなことを考えている間にハイドンが終わってしまった。次はブラームス。これを聞くために来たんだ。
ハイドンが終わりステージの照明がおちた。アナウンスで休憩時間が告げられている。黒いスーツをきた男が2人、モニター前の集団へ近づいてきた。きっとかれらが誘導してくれるのだろう。とユウスケは思った。
ユウスケは、いつものようにシャワーを浴びながら今日起こったできごとを思い起こしていた。
今日は土曜日なので講義はなかった。後期のテスト期間中なので、ふだんなら土曜日にあるオーケストラの練習もなかったのだが、家も近く(試験勉強を除いては)他にやることも無いので自主練をしに学校へ行ってきたのだった。練習室には、いわゆるいつものメンバー、ヴァイオリンが2人、ヴィオラ、コントラバス、フルート、それにトロンボーンが何人か…が練習していた。後からクラリネットとトランペットもやってきた。かなり広い練習室なので、これだけの人数がいても音を出すことはできる。だが、みんながいっせいに音を出している中での練習はあまり良い環境での練習とはいえないかもしれない。同じことを思ったのか、ヴィオラは別の個室で練習を始めた。彼はユウスケが帰った後も一人で練習しているようだった。
それにしても、みんな試験あるのに練習来るんだな。でも、練習しない人は試験があろうがなかろうがこないよなぁ(笑)まぁ、でも、大学オケだからね、そういうものなのかも。ユウスケはふとそんなことを考えていた。
ユウスケは大学に入って1年、2年とオーケストラサークルに所属していて、入団当時から毎日欠かさず楽器を練習している。高校の頃からトロンボーンを吹いていて、今ではオーケストラの学生指揮者という立場でもある。4月になれば3年生になる。新入生も入団してきて楽団の中の最上学年になり、楽団を先導していかなければならないため責任も増えるだろうが、それよりもこのオーケストラを使ってどんな演奏をすることができるのか、ということを心から楽しみにしているし、そう、燃えている。本人の中では大学生活の中でオーケストラがメインだと思っていて(勉強よりも?)、最近新しく入った複雑系化学物理サークルのほうは、その担当の教授の講義が面白かったから入ってはみたものの、そこまでまだ熱中できていないと自分では思っている。
試験期間に入り、普段のオーケストラの練習が休みになったので、「最近は基礎の練習をしっかりやれているな。」とユウスケは感じていた。彼は根はまじめな人間なので、基礎をしっかりと作ることが応用にもつながるという考えをもっていた。なので、曲を練習することはあまりせず、基礎の練習を積み重ねていった。そのときに気をつけることは、自分の頭のなかに理想のトロンボーンの音を響かせるということと、しっかりとブレス(*楽器を吹くために吸ったりはいたりする息のこと)をとることだと、彼は考えていた。この考えはアーノルド・ジェイコブスのsong and windという言葉に影響を受けていると、自分でも自覚していた。でも、彼の周りで練習している管楽器奏者の中には、もちろん彼と同じ考えを持たない人もいるし、ブレスや音のイメージよりもアンブシュア(*管楽器のマウスピースに対する唇およびその周辺の形のこと。フランス語ではマウスピースを意味する)やアパーチュアやフィンガリング(*指回し)、スライディング(*トロンボーンにおける腕回しw)といった技術に重きをおく考えの人もいる。ユウスケにとって、これらの技術はどうでもよかった。イメージがあって、ブレスがイメージを支えることができれば、これらは自然についてくるものだろうと、そう信じていた。一般的に拡張して考えると、イメージというものは、人間が何かすることにすごくかかわっているんじゃないかと思うようにもなっていた。弦楽器にもいえるだろうし、音楽に限ったことじゃないだろう。ユウスケの中に彼の哲学が芽生え始めた(笑)
「あ、明日は高校の友達の演奏会だった。えーと、第一生命ホールだったかな?一度だけ行ったことあったかな」
シャワーからあがり、ヤフーのホームページから最寄り駅を検索。
「勝どき駅?府中から1時間もするのか…。明日は10時から12時までに起きよう」
ユウスケは独り言をつぶやいて、ケータイのアラームを10:00、10:30、11:00、11:30、12:00にセットして布団にもぐりこんだ。
(あ。今度の演奏会でもやるし、チャイコフスキーでも聞きながら寝ようかな。)
もぞもぞと布団から這い出し、いつも持ち歩いているカバンに入れておいたポータブルCDプレイヤーをとりだし、イヤホンをしてチャイコフスキーの『くるみ割り人形』をはじめから聞き始めた。
(やっぱ、ロシアの楽団ってちがうなー。なんでこんなに馬鹿みたいに張るんだろう(笑)でもそれが良いんだけど!…あ、だめだ、聞いちゃって眠れないや。。)
ユウスケはイヤホンをはずしてCDをとめた。
(明日寝坊できないからなー。チャイコフスキーはまた今度ゆっくり聞こう。スコア見ながら。そういえば…)
いろいろ考えようとしながら、ユウスケは眠ってしまった。